鮭、日本一のまち知床・斜里町

斜里町の水産業と知床・ウトロの由来

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斜里町の水産業とウトロの由来

 斜里町の漁業の歴史は古く、寛政2年(1790年)の斜里場所から始まったとされ、昭和22年からの魚田開発事業による漁港施設の拡充や昭和24年の漁業協同組合設立などにより発展を続け、以来斜里町の基幹産業になっています。

海岸線はオホーツク海に面して100km(市町村として日本一の長さ)に及び、その間に日本一の鮭・鱒遡上河川である斜里川をはじめとして、38条(市町村として日本一の数)の河川が流入しており、この沿岸に斜里市街・峰浜・日の出・ウトロと4ヶ所に漁業集落があり、ウトロ(知床岬に分区あり)知布泊・斜里の3つの漁港を中心に漁業活動が行われています。

 斜里町内には市街地に、「斜里第一漁業協同組合」、ウトロ地区に「ウトロ漁業協同組合」と2つの漁業協同組合があり、主な漁業形態は、定置網漁業、刺網漁業・かに篭漁業などの沿岸漁業などで、特に定置網漁業で漁獲される鮭の漁獲量は平成15年から連続で日本一を記録しています。
 又、知床とは、アイヌ語でシリ・エトク「大地のはてる処」を意味しており、七・八千年前には既に人類が住んでいたとされています。この地ウトロ(宇登呂)も原名がウトルチクシといい「岩と岩の間の細い道を通る」という意味だといいます。
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